山口地方裁判所 昭和55年(行ウ)2号 判決 1983年3月17日
原告 花田晃美
被告 徳山税務署長
代理人 佐藤拓 中野紀從 清水龍三 森義則 ほか三名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が原告に対し昭和五三年七月八日付でした、原告の昭和五〇年分、昭和五一年分及び昭和五二年分の各所得税についての各更正処分(但し、いずれも審査請求に対する裁決により一部取消後のもの)を取消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、山陽資材株式会社等の会社役員であり、不動産賃貸業をも営んでいる者であるが、昭和五〇年分ないし昭和五二年分の各所得税について確定申告及び修正申告し、更に昭和五一年分については再修正申告したところ、被告は原告に対し、右各年分につきいずれも更正処分(以下「本件各更正処分」という)をした。
原告は、本件各更正処分を不服として被告に異議申立をしたが、被告はこれをいずれも棄却したので、更に国税不服審判所長に対し審査請求したところ、同所長は本件各更正処分を一部取消す旨の裁決をした。
右確定申告から裁決に至る経緯及び内容の詳細は、別表一ないし三のとおりである。
2 しかしながら、本件各更正処分(但し、いずれも審査請求に対する裁決により一部取消後のもの。以下同じ)には、原告の昭和五〇年分ないし昭和五二年分の不動産所得金額及びその明細は別表四のとおりであるのに、これを過大に認定した違法があるので、その取消を求める。
二 請求原因に対する認否
請求原因1の事実は認めるが、同2は争う。
三 被告の主張
1 本件各更正処分は、いずれも原告の不動産所得に係るものであるが、昭和五〇年分ないし昭和五二年分の原告の不動産所得及びその明細は別表五のとおりであり、従つてその総所得金額及びその明細は、別表一ないし三の各異議決定額欄のとおりである。
2 原告は、昭和五〇年分ないし昭和五二年分の不動産所得の計算上、花田キヨに対する給与額並びに花田照子及び花田尚子に対する青色事業専従者給与額を必要経費として収入金額から控除すべき旨主張するが、花田キヨが従事したと原告が主張する労務の内容は総じて単純で片手間的なものに過ぎず、原告から住居の無償貸与を受けていたことに対する謝礼的行為にとどまり、その金銭授受も扶養義務者間の恣意的な金銭の受渡であつて労務に対する対価とは認められないこと、及び花田照子は原告の妻で原告と生計を一にするものであるが、原告の営む不動産賃貸業に専ら従事するとは認められず、花田尚子は原告の長女であり原告と生計を一にするものであるが、原告において扶養親族として申告しており、右両名は所得税法五七条一項の青色事業専従者に該当しないことから、いずれについても必要経費と認めることはできないものである。
3 仮に花田キヨに対する金銭の支払が労務に対する対価の支払と認められるとしても、花田キヨの労務提供の程度からみて、その対価として容認し得る金額は最大限一か月五万円であり、従つてこれを各係争年分についてみると、
昭和五〇年分 六〇万円
昭和五一年分 六〇万円
昭和五二年分 二〇万円(但し一月から四月まで四か月分)が、花田キヨに対する給与として認め得る最大限である。
また仮に花田照子が原告の不動産賃貸業にもつぱら従事するものと認められるとしても、原告が必要経費として算入できる給与の額は労務の対価として相当な部分のみに限られるところ、原告が各係争年分につき花田照子に対する青色事業専従者給与として必要経費の額に算入すべき旨主張する別表四記載の金額、即ち昭和五〇年分一八〇万円、昭和五一年分一八〇万円、昭和五二年分二四〇万円は、別表六のとおり原告の事業と同種同規模の事業者AないしD四名の専従者一人当りの平均給与額に比し不相当に高額であり、これを全額必要経費と認めることはできず、右類似同業者の一人当り平均専従者給与額
昭和五〇年分 九二万七〇〇〇円
昭和五一年分 一〇六万五〇〇〇円
昭和五二年分 一二〇万八〇〇〇円
を越える部分については、必要経費額に算入することはできない。
そうすると、右のごとく花田キヨに対する給与及び花田照子に対する青色事業専従者給与を認め、これを別表五の必要経費額に加算したとしても、原告の不動産所得の金額は、
昭和五〇年分 一六八万七九四二円
昭和五一年分 二一三万八七二六円
昭和五二年分 二三七万一九三五円
となるから、本件各更正処分には原告の不動産所得を過大に認定した違法はなく適法である。
四 被告の主張に対する認否及び反論
(認否)
1 被告の主張1のうち、本件各更正処分がいずれも原告の不動産所得に係るものであること、昭和五〇年分ないし昭和五二年分の原告の不動産所得の明細のうち、収入金額、必要経費のうち租税公課・損害保険料・修繕費・減価償却費・借入金利子・地代家賃・水道光熱費・その他の経費、並びに青色申告控除額が別表五のとおりであること、原告の昭和五〇年分ないし昭和五二年分の総所得金額の内訳中、給与所得・配当所得が別表一ないし三の異議決定額欄記載のとおりであることは認めるが、その余は争う。
2 被告の主張2のうち、花田照子が原告の妻であり原告と生計を一にすること、花田尚子が原告の長女であり原告と生計を一にすることは認めるが、その余は争う。
3 被告の主張3は争う。
(反論)
1 花田キヨは原告の従業員として、花田照子、花田尚子は所得税法五七条一項の青色事業専従者として、それぞれ左記のとおりの労務に従事したもので、その給与は別表四のとおりであるから、右給与額は原告の各係争年分の不動産所得の計算上必要経費として、これを認むべきものである。
なお花田尚子については昭和五二年分につき当初扶養親族として申告したが、被告の調査官の指示指導により、昭和五三年三月八日青色専従者給与に関する変更届出書を被告に提出済みである。
(一) 花田キヨ
住込従業員として宿日直を兼ね、原告の不動産所得の基因となつた建物(以下「山陽ビル」という)の一室に居住し、昭和五二年四月までの間、山陽ビルの共用通路部分や便所等の清掃及び夜間(午後六時以降翌朝午前八時までの間)の火気取締り、戸締り等に従事。
(二) 花田照子
山陽ビルの入居者募集、賃料の請求及びその受領、入居者毎の電気料、共用動力費、上下水道料金、塵芥処理料等の算定、請求及びその受領、各種経費の支払、銀行預金の預入及び引出、記帳その他山陽ビルの運営管理の全般にわたる労務に従事。
(三) 花田尚子
花田キヨが足を負傷し一時的に前記業務に従事することが不能となつたため、昭和五二年五月から花田キヨに代つてその労務に従事。
2 原告は昭和四〇年以来花田照子を青色事業専従者として申告しており、昭和四九年分の確定申告における花田キヨの従業員給与額及び花田照子の専従者給与額は、被告がこれを否認する昭和五〇年分、五一年分の原告申告額と同額であるにもかかわらず、昭和四九年分までは何ら修正または更正処分を受けたことがない。のみならず、被告は、昭和五一年末ころ原告の昭和五〇年分の所得税調査をしたが、その際被告の調査官は原告の申告にかかる花田キヨの従業員給与額及び花田照子の専従者給与額を是認する旨の発言をし、その後何らの指示も更正処分等もなかつたので、原告としては申告額が承認されたものとして以降も同額で申告したものである。また本件についての審査裁決においては、花田キヨが原告の事業に従事したこと及び花田照子が原告の事業に専従したことが認められている。これらの事実に鑑みれば、被告が従業員給与及び青色事業専従者給与を否認して本件各更正処分をなしたのは、税法上の信義誠実の原則に違反するものである。
3 原告の知人の医師は家族専従者に六〇〇万円の給与を支出しているが、これが否認されたことは聞いておらず、原告申告にかかる従業員給与及び青色事業専従者給与はこれより低額であり、平等原則からいつても、原告申告の給与額を否認するのは違法である。
五 原告の反論に対する被告の再反論
1 原告は、被告が花田キヨに対する給与及び花田照子に対する青色事業専従者給与を否認して本件各更正処分をなしたのは信義則違反であると反論するが、昭和五一年末ころ被告のした原告の昭和五〇年分の所得税調査の際、被告の調査官が原告申告の花田キヨの給与及び花田照子の青色事業専従者給与額を是認する旨述べたことも書面による申告是認通知をしたこともない。真相は、被告の調査官が原告に対し、花田キヨの給与及び花田照子の青色事業専従者給与が高額に過ぎることからその是正を求めたが、原告がこれに応じなかつたもので、被告としては更正処分等をなすことは見合わせていたところ、その後の調査により前記三、被告の主張、2掲記の事実が判明したので、昭和五三年七月八日付で本件各更正処分をしたが、昭和四九年分以前については国税通則法七〇条一項による除斥期間が経過しており、更正処分をなし得なかつたのであつて、何ら信義則に違反する点は存しない。また仮に被告が原告の申告額につきこれを是認する旨通知したからといつて、これがために以後更正処分等をなし得なくなるものではなく、むしろ被告が従来の更正をしない状態が法規の適正な解釈からして誤つていることに気付いたときは、速かに法の命ずる状態を回復せしめること、即ち課税処分をなすことこそ租税正義の理念に添うものである。
なお、本件各更正処分に対する審査裁決において、国税不服審判所長は原告主張の花田キヨに対する給与額及び花田照子に対する青色事業専従者給与額の一部を認容しているが、被告と国税不服審判所長とは別機関であり、訴訟手続において被告が右審査裁決の認定に拘束されねばならないいわれはないし、右審査裁決は本件各更正処分後になされたものであり、原告が申告したのはそれ以前であつて、原告が右裁決を信頼して申告したともいえないから、右審査裁決があることをもつて、信義則にいう相手方の信頼の原因となる行為に該当するということもできない。
4 更に原告は、原告の知人の医師は家族専従者に六〇〇万円の給与を支出しているのに否認されたということは聞いておらず、これに比し、本件の給与は労務に対して低額であり、行政処分をするうえにおいて平等であるべき旨をも主張するが、医師とビルの賃貸業とは業種業態が全く異なり、比較することは不可能であるから、仮に医師の専従者給与が六〇〇万円であるからといつて、直ちに原告主張の給与を是認しなければ平等の原則に反するというものではない。
第三証拠 <略>
理由
一 請求原因1の事実、及び被告の主張1のうち本件各更正処分がいずれも原告の不動産所得に係るものであること、昭和五〇年分ないし昭和五二年分の原告の不動産所得の明細のうち、収入金額、必要経費のうち租税公課・損害保険料・修繕費・減価償却費・借入金利子・地代家賃・水道光熱費・その他の経費、青色申告控除額が別表五のとおりであること、原告の昭和五〇年分ないし昭和五二年分の総所得金額の内訳中、給与所得・配当所得が別表一ないし三の異議決定額欄記載のとおりであることは、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告が昭和五〇年分ないし昭和五二年分の原告の不動産所得の計算上必要経費として収入金から控除すべき旨主張する、花田キヨに対する従業員給与、花田照子、花田尚子に対する青色事業専従者給与につき、以下検討することとする。
1 花田キヨに対する給与について
<証拠略>を総合すると、山陽ビルは、昭和三九年建築の地下一階地上五階建の鉄筋コンクリートビルで、原告はその一階から四階までを事務所として賃貸しているところ、原告の実母である花田キヨは、山陽ビルに隣接してあつた原告が関与する山陽資材株式会社の木造事務所の一室に、山陽ビル建築以前から右木造事務所が取りこわされた昭和五二年七月ころまで原告から無償で貸与を受けて独りで居住し、山陽ビルができてからは、朝晩山陽ビルの一階出入口シヤツター、各階の通路・洗面所・湯沸場・便所の各窓、三、四階の防火扉の各開閉をし、夜間の右戸締りの際には併せて各階通路の消灯の確認及び湯沸場のガスの元栓の確認をなし、また山陽ビルの周囲の落葉や紙屑の清掃や草取り、汚れがひどいときの通路部分の清掃をもしていたことが認められる。前掲甲第一三号証の二、成立に争いのない甲第一〇号証の一中には、右認定にとどまらず、花田キヨは山陽ビルの火災、盗難等防止に関する一切の責任を負つていたもので、宿日直を兼ね二四時間勤務していたとの部分が存し、官署作成部分の成立は争いがなく、その余の部分の成立は弁論の全趣旨により認められる甲第三一号証の一によれば、原告は徳山市消防長に花田キヨを防火管理者として山陽ビルの消防計画の届出をしていたことが認められるが、本件全証拠によるも、花田キヨが防火管理者としての定められた業務を実際に行なつていたことを認めるに足る証拠は存せず、<証拠略>により認められるとおり、花田キヨは明治二六年生れで昭和五〇年当時既に八〇歳を超えていたことに鑑み、甲第一〇号証の一、第一三号証の二の前記各部分は到底措信できず、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。
しかしながら、右認定の花田キヨの労務のうち、シヤツター等の開閉や消灯、ガス栓の確認及び山陽ビルの清掃といつた労務はごく単純で短時間に行なえるものであるし、道路部分等の清掃といつても、<証拠略>によれば、週二回程度は外部雇用の清掃婦により山陽ビルの清掃が行なわれていたことが認められることに照らし、花田キヨが通路部分等の清掃に従事しなければならなかつた必要性は乏しく、例外的な従事に過ぎなかつたと認められ、結局以上によれば、花田キヨの労務が対価の支払を必要とする程のものであつたとは到底認められないところであり、むしろ前記のとおり花田キヨは原告の母であり、住居の無償の貸与を受けていたことに鑑みれば、花田キヨの労務提供は親子間の情愛に基づく行為ないし住居の貸与に対する謝礼的行為と認めるのが相当である。
しかも、原告が支払つたと主張する花田キヨに対する給与額についても、証人花田照子の証言及び原告本人尋問の結果中には原告主張に沿う部分があり、また<証拠略>によれば、花田キヨが原告主張額と同額を原告から支給を受けた給与として確定申告していることが認められるものの、<証拠略>により明らかなとおり、花田キヨの給与については源泉徴収もなされておらず、<証拠略>によれば、原告備付の振替伝票等の帳簿書類には給与の支払の記載はあるものの、その記載によれば、、給与の支払のない月もあり、また支払いのある月もその金額が月毎に大きく異なつて一定していないうえ、花田キヨに対する給与であるのか花田照子、花田尚子に対する給与であるのかその明細の記載もなく、原告が審査請求の段階で国税不服審判所に提出した各人別の給与の明細書も、昭和五〇年・昭和五一年に関しては原告の主張額と合致しているものの、昭和五二年分に関しては花田照子につき二四〇万円と申告したのは間違いであるとして一八〇万円に訂正されている外、花田キヨについては九三万円と主張額を上回るばかりか、一月から四月までの従事であるのに、六月のみならず一二月にも賞与を支給したこととされているなど明らかに不合理な明細であり、加うるに、<証拠略>によれば、花田キヨは昭和五四年八月二一日原告から支給を受けた給与につき国税審判官からの質問を受けて、「給料は三年ぐらい前から現在まで毎月五万円を現金でもらつております。賞与はもらつておりませんが、原告がお金のないときにあげるというので時々もらつています。」と、右原告の明細書と全く異なつた回答をしていることが認められることに鑑みれば、前記原告主張に沿う証人花田照子の証言部分及び原告本人尋問結果部分は措信しがたいし、前記確定申告から直ちに申告額どおりの給与の支給があつたとも推認できないと言うべきであり、その他本件全証拠によるも原告主張の給与額の支払の事実を認めるに足る証拠は存しない。
また、仮に、前記花田キヨの回答により、花田キヨが原告から定期的に毎月五万円及び不定期にいくらかの金員の支給を受けていたことが認められるとしても、<証拠略>によれば、原告備付の帳簿書類には右に見合う記帳のないことが明らかであること、花田キヨは原告の母であり原告と別居して独りで生活していたこと、及び前認定のとおり花田キヨの労務は対価を支払う程の労務でなかつたことに、右五万円は当面の生活費として手渡していた旨の原告本人尋問の結果部分と<証拠略>を総合すれば、花田キヨが支給を受けた右金員は、原告が実母の生活費等として交付したものというべく、給与として支給したものとは到底認められない。
以上のとおり、花田キヨの労務は対価を支払わなければならない程のものではなく、かつ給与支払の事実を認めることはできないし、むしろその労務提供は親子関係に基づく情愛的行為ないし住居提供に対する謝礼的行為であり、花田キヨに対する金銭交付があつたとしても、これまた親子関係に基づく生活費等の支給に過ぎないと認められるところであるから、花田キヨに対する従業員給与については、これを認めることはできない。
2 花田照子に対する青色事業専従者給与について
花田照子が原告の妻であり原告と生計を一にすることは当事者間に争いがなく、<証拠略>を総合すると、花田照子は、本件の各係争年を通じ、山陽ビルの事務所賃借人からの賃料受領、各賃借人ごとの電気料金・上下水道料金・塵芥処理料・冷暖房料・専用部分の清掃料の算定・請求・受領、山陽ビルの経費の支払、銀行預金の預入及び引出、上記入出金に関するメモの作成、通路等の共用部分の清掃、ビルの設備の故障等の処理、入居者募集並びに賃借人相互間の部屋の変更等に係る業務に従事していたことが認められる。なお証人花田照子の証言中には賃料の値上げ交渉にも従事したとの部分が存するが、<証拠略>によれば、昭和五〇年ないし昭和五二年の間に賃料値上げのなかつたことが明らかであることに照らし、にわかに措信できず、他に前記認定を左右するに足る証拠はない。
そこで、右認定の花田照子の従事業務につき、より仔細にその内容、事務量等を検討してみると、
(一) <証拠略>によれば、花田照子の業務のうち主要な部分を占めるのは、賃料や電気料金の集金等に係るものであるが、山陽ビルの事務所賃借人は、昭和五〇年が九名、昭和五一、五二年が各八名と少数であつたうえ、そのうち昭和五〇、五一年は各三社(山陽資材株式会社、山陽岡部株式会社、山口ハイム株式会社)、昭和五二年は二社(山陽資材株式会社、山陽岡部株式会社)が原告の関与する会社であつたこと、賃料は約半数の賃借人が振込入金で持参払は残りの約半数に過ぎなかつたし、花田照子が居合わせなかつたときは、山陽資材株式会社の事務員がこれを受領していたこと、電気料金は各部屋毎にメーターが設置されており、これを毎月一回計測しさえすれば容易に算定できたし、他の上下水道料金、冷暖房料金、塵芥処理料に関しては毎月計算の必要はなく、あらかじめ各部屋の広さや人数により定めた基準で算定した固定額を請求すればよく、その算定のための計算は半年に一度程度で足りたこと、専用部分の清掃代は一部の賃借人についてのみであつたし、その金額も外部雇用の清掃婦の請求金額に洗剤等の消耗品費を加算すればよかつたこと、これら料金の請求は毎月まとめて一度にこれを行ない、その請求書用紙は三枚複与式で領収書も同時に作成できたこと、電気料金等についても賃料と同様に振込入金していた賃借人もあつたし、持参払の場合に花岡照子が居合わせなかつたときは、賃料同様山陽資材株式会社の事務員がこれを受領していたこと、原告が支払う電気料金等山陽ビルの経費についても自動振替支払としていたものがあること、入出金のため花田照子が銀行に赴くのは毎月二回ないし四回程度に過ぎなかつたこと(この点につき証人花田照子の証言中には三日に一度は銀行へ行つていた旨の部分が存するが到底措信できないし、もし仮にそれが事実としても後記認定に照らせば、それは山陽資材株式会社の用務を足すためではなかつたかと推認される)、またこれら入出金についてのメモ作成といつても、預金通帳に現われた入出金についてはその余白に事由を記入し、その余の入出金については別途メモ程度に記録しておくという極めて簡略なものに過ぎず、振替伝票の作成や総勘定元帳への記帳といつた事務は、一切を確定申告前に一年分を一括して山陽資材株式会社の事務員ないし税理士に行なわせていたこと、以上の事実が認められる。
(二) 山陽ビルの通路等共用部分の清掃に関しては、週二回程度は外部雇用の清掃婦により清掃が行なわれていたこと、また汚れがひどく右清掃だけでは足りないときは、花田キヨが清掃を行なつていたことは、前記1で認定のとおりであり、右事実によれば、山陽ビル程度の規模のビルにおいて花田照子が更に清掃にたずさわる必要性はほとんどなく、花田照子が清掃業務に従事したのはごく例外的な場合であつたと推認でき、証人花田照子の証言中毎日モツプをかけて清掃していたとの部分は到底措信できない。
(三) 山陽ビルの設備の故障等の処理に関し、花田照子は、故障等の事例として、ドアが故障したこと、電気が切れたこと、冷暖房の性能が落ちたこと、台風で樋がはずれたこと、水道栓の締め忘れによりビルが浸水したこと、ガス器具の取り換え、水道や便所がつまつたことがある等挙示する(同証人の証言)が、いずれも抽象的に挙示するにとどまつており、仮にそれらが過去において生じたとしても、本件係争の昭和五〇年ないし昭和五二年の間に生起したものであるかどうかは全く不明であるし、本件全証拠を検討してみても、昭和五〇年ないし昭和五二年の間に生じた故障であると認定し得るのは、<証拠略>により認めることができる、昭和五二年七月初めころの山陽ビル屋上に設置のクーリンダタワーのフアンモーターの故障、及び同年一二月中旬ころの山陽ビル地下に設置の石油ボイラーの出力低下の二件に過ぎないし、一般的にも花田照子が挙示するような故障等が一年間の間に頻繁に発生するものとは到底考えられない(なお原告の昭和五〇年分ないし昭和五二年分の原告の不動産所得の明細のうち修繕費額については、前記のとおり当事者間に争いがないところ、右の中には後記認定の建物改造に伴なう修繕費も含まれると思料されるが、昭和五〇年分七四万三七〇〇円、昭和五一年分六一万一五二二円、昭和五二年分八五万五六三〇円と低額にとどまつている)。
しかも<証拠略>を総合すれば、それら故障の処理とはいえ、花田照子が行なうのは、そのほとんどが指示をあおぐための原告への連絡や、業者等への修理依頼といつた単なる連絡的事項に過ぎないことが認められる。
(四) 入居者の募集及び賃借人相互間の部屋の変更等に係る業務に関しては、<証拠略>によれば、昭和五〇年ないし昭和五二年における賃借人及び賃借人相互間の部屋の移動は、
(1) 昭和五〇年
当初の空室は四階の一室、三階の二室の計三室であつたところ、うち三階の一室は従前よりその隣室を賃借していた山口ハイム株式会社が同年一二月より右隣室に加え賃借入居。
しかし一方同年一〇月限りで三階の一室を賃借していた千同物産が退去。
(2) 昭和五一年
当初の空室は四階の一室、三階の二室計三室であつたが、四階の一室は従前からその隣室を賃借していた帝国酸素株式会社が右二室を一室に改造して同年八月から賃借し、また三階の二室は従前から一階を賃借していた山陽資材株式会社が右二室をも同年九月から賃借。
しかし一方、三階の二室を賃借していた山口ハイム株式会社が同年六月限りで退去。
(3) 昭和五二年
当初の空室は三階の二室であつたが、同年四月から右二室を一室に改造し、従前二階を賃借していた岡村製作所が、右部屋に移動し、その後の二階には山陽資材株式会社が三階の二室を賃借していた部分から移動し、これにより空室となつた三階の二室には同年七月から右二室を一室に改造して真光文明教団が新たに賃借入居。
であつて、各係争年を通じ空室数も少なく、新たに賃借入居したのは真光文明教団一件のみであり、また建物改造を伴なう賃借人の部屋の移動も昭和五一年に一回、昭和五二年に二回あつたに過ぎないことが認められ、しかも、原告本人尋問の結果によれば、右のような建物の改造に関しては、原告は花田照子から相談を受けこれに指示を与えていたことが認められるのであつて、結局入居者募集や賃借人の部屋の移動に係る業務といつても例外的一時的に発生したに過ぎず、しかも花田照子の担当する業務の多くは原告の指示を受けて行なう比較的単純な連絡的業務であつたと言うべく、証人花田照子の証言及び原告本人尋問の結果中右認定と異なる部分はにわかに措信できない。
以上の事実を認めることができ、これらに鑑みれば、花田照子の業務のうち中心的な部分を占める賃料や電気料等の集金その他入出金に係る事務自体その事務量はごくわずかであり、短時間に片手間的に処理し得るものと言えるし、その他の業務に関してもいずれも例外的一時的なものに過ぎず、それらのために要した延べ従事日数はわずかなものであつたと言い得べく、花田照子が原告の業務に従事のために常時出勤を要したとは到底認められない。
しかも、<証拠略>によれば、花田照子は、主婦として原告家庭の家事一切を切り盛りしていたもので、山陽ビルへの出勤時刻や勤務時間といつた定まつたものはなく、まつたく山陽ビルに出向かない日もあり、出向いた場合もその時間は概ね午後〇時半から午後四時ころまでの家事の遂行に差しさわりのない範囲で出向いていたに過ぎないうえ、山陽ビルに出向いたからといつて、山陽ビルの業務にのみたずさわつていた訳ではなく、山陽資材株式会社の業務にも従事し、同会社の役員として、昭和五〇年・二三四万七五〇〇円、昭和五一年・二〇七万円、昭和五二年・二〇七万円もの報酬を得ていたことが認められるのであつて、これらを総合すれば、花田照子は主婦としての仕事の合い間をぬつて山陽ビルに出向いていたものの、その多くは山陽資材株式会社の業務に従事し、山陽ビルの業務は、更にその合い間をぬつて片手間的に従事していたものに過ぎないと認めるのが相当であり、<証拠略>中右認定に反する部分はにわかに措信できず、他にこれを覆すに足りる証拠はない。
以上認定の事実によれば、花田照子が原告の不動産賃貸業に専ら従事したものとは到底認められないし、事業専従者について所得税法施行令は、一六五条において事業に専ら従事するかどうかの判定につき従事期間の制限を規定するのみで、専従者の範囲についてはこれを特に規定していないけれども、同条二項が、他に職業を有する者(その職業に従事する時間が短い者その他当該事業に専ら従事することが妨げられないと認められる者を除く)については、その期間を専ら従事した期間には算定しない旨規定していることに照らしても、花田照子が所得税法五七条一項の青色事業専従者に該当しないことは明らかである。
従つて、花田照子に対する給与については、その給与額について判断するまでもなく、これを必要経費とは認めることができないものである。
3 花田尚子に対する青色事業専従者給与について
花田尚子が原告の長女であり原告と生計を一にすることは当事者間に争いがないが、扶養親族とされる者は所得税法五七条一項の青色事業専従者となり得ないところ、<証拠略>によれば、原告は昭和五二年分の確定申告において、花田尚子を扶養親族としていることが認められる。なお原告は被告の調査官の指示指導により、青色専従者給与に関する変更届出書を提出済みであるとも主張するが、<証拠略>によれば、右主張の変更届は昭和五二年分に関するものではなく、昭和五三年一月以降についての変更届であることが認められる。
従つて、花田尚子が本件係争の昭和五二年分に関しては、青色事業専従者となり得ないものであることは明らかであり、その余について判断するまでもなく、原告主張の給与額を必要経費と認めることはできない。
三 もつとも原告は、花田キヨの従業員給与及び花田照子の青色事業専従者給与につき、原告の昭和四九年分の申告額は本件係争の昭和五〇、五一年分と同額であるのに昭和四九年分までは何ら更正処分等を受けていないこと、昭和五一年末ころ被告が原告の昭和五〇年分の所得税調査をした際、被告の調査官は原告申告にかかる従業員給与額及び専従者給与額を是認する旨発言し、その後更正処分等はなかつたこと、本件についての審査裁決においては、花田キヨが原告の事業に従事したこと及び花田照子が原告の事業に専従したことが認められていることに照らし、右給与をいずれも否認して被告が本件各更正処分をなしたのは税法上の信義則違反であると反論し、あるいは、原告の知人の医師は専従者給与として六〇〇万円が是認されており、これより低額の原告の従業員給与及び専従者給与を否認するのは平等原則違反であるとも反論するので、これらの点につきなお検討する。
原告本人尋問の結果中には、昭和五一年秋ころ被告が原告の昭和五〇年分の所得税の調査をした際、被告の調査官が花田キヨの従業員給与及び花田照子の事業専従者給与について原告申告額を是認する旨発言したとの部分が存するが、にわかに措信できず、かえつて、<証拠略>を総合すれば、被告が昭和五一年末ころ原告の昭和五〇年分の所得税調査をした際、被告の調査官は、原告申告にかかる花田キヨの従業員給与額及び花田照子の青色事業専従者給与額が過大であると思料されたので、その是正を求めたが、原告がこれに応じなかつたため、被告において処分を見合わせていたところ、その後の本件各更正処分に際しての調査の結果、右各給与が必要経費とは認められないと判断されたため、本件各更正処分を行なつたが、昭和四九年分以前については既に国税通則法七〇条一項の除斥期間が経過しており、更正処分をなし得なかつたことが認められ、右事実によれば、被告の調査官が原告申告にかかる給与額を是認したものでないことが明らかである。又、被告が昭和五一年末の調査の後直ちに更正処分をしなかつたからといつて、原告申告額を是認したこととなり以後更正処分をなし得なくなる訳でもないことは言うまでもないことであり、むしろ後日の調査により申告が不真正なものであることが判明したときは更正処分等による是正措置をなすべきが当然であり、本件各更正処分は何ら信義則に違反するものではない。なお<証拠略>によれば、本件についての審査裁決においては、花田キヨの従業員給与額及び花田照子の青色事業専従者給与額の一部が認容されているが、被告と審査裁決庁たる国税不服審判所長とは別個の機関であり、被告が訴訟手続において審査裁決の認定に拘束されるいわれはないし、右審査裁決は原告の申告及び本件各更正処分の後になされたもので、原告が右審査裁決を信頼して確定申告した訳でもないのであるから、右審査裁決の認定があることから本件各更正処分が信義則違反であるとすることも到底できないところである。
次に平等原則違反の点については、医師と原告のような不動産賃貸業とでは業種業態が全く異なつており、これを比較することは不可能であるうえ、仮に原告主張のように医師の専従者給与として六〇〇万円が是認された事例があつたとしても、それ故に原告主張の給与額を是認しなければ平等原則に反するというが如きは牽強付会に等しいこと自明であるというべく、主張自体失当である。
四 以上を総合すれば、原告の各係争年における不動産所得及びその明細は別表五のとおりであり、従つてその総所得金額は、前記争いのない原告の各係争年分の給与所得及び配当所得を加算した、
昭和五〇年分 一六二八万四四四二円
昭和五一年分 一四〇〇万三七二六円
昭和五二年分 一四七四万九九三五円
と認められ、本件各更正処分には原告の所得金額を過大に認定した違法はなく、適法である。
五 よつて原告の請求はいずれも理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 西岡宜兄 紙浦健二 上田昭典)
別表 <略>